岩倉城

別名 小鴨城 付近住所 鳥取県倉吉市岩倉 現在 岩倉山
2003/8/9 案内板アリ 日本城郭大系


小鴨氏 小鴨氏は律令時代―奈良・平安時代、すでに名があり伯耆国府につとめた在庁官人の家柄と考えられている。平安時代の末期に寿永元年(282)小鴨基保が西伯耆の豪族、紀成盛(きのなりもり)と戦った記録がある。鎌倉時代に小鴨氏は岩倉山(海抜247m)の山上に砦を築きここを代々の居城とした。元弘3年(1333)後醍醐天皇が船上山に潜華の際、名和氏の軍勢により小鴨城が攻略されたという記事もあるがよくわからない。天皇が京都へ還幸になるとき小鴨氏基は供奉したといわれている。応仁の乱(14671477)には伯耆守護 山名教之(のりゆき)に従い小鴨安芸守之基は主人に変わって防戦し船岡山の戦いで討死した。大永4年(15245月、尼子経久が出雲より伯耆へ侵攻し伯耆の全ての城が陥落し小鴨氏の岩倉城も落城の浮目にあった。永禄4年(1561)西国より起った毛利氏が強くなり羽衣石城の南条氏と共に毛利氏に加担して尼子氏に反攻。永禄9年(1566)尼子氏は毛利に降伏し小鴨氏は南条氏と共に吉川元春の配下となった。元亀元年(1570)山中鹿之助の配下に一時奪われたが因幡の湯原氏の応援を得て奪還した。天正7年(1579)小鴨元清は南条元続と共に毛利氏から離れ織田氏に帰属することになった。毛利氏は吉川元長を長として圧倒的な軍勢をもって岩倉城に猛烈な攻撃をしかけて来た。天正10年(15825月のことである。忠勇十二勇士の誓願盟約による奮戦もむなしく、遂に落城した。城主 小鴨元清は南条氏を頼って羽衣石に逃れここに岩倉城の歴史は幕を閉じた。

縄張図